2024年07月11日
遺伝子検査、海外サービスの罠 国家安全保障上のリスク
「米、中国に個人情報の販売禁止 遺伝や所得など」――2月末の少し古い記事だが、改めて重要であると感じられるようになったので、掘り起こしてみた。「米政府は、ゲノム(全遺伝情報)や生体認証、資産といった個人が特定できるデータを広範に規制する」というのである。生体認証や個人資産の情報もプライバシー保護のために海外に移転させたくない情報だが、さらに個人の遺伝情報を海外企業・政府に譲渡するのは新たに「国家安全保障の観点から」重大な問題になったのである。
サイバーはミサイルより強力
ロシアのウクライナ侵略戦争をきっかけに、戦争は銃砲やミサイルなどの兵器を使うだけではないことが分かった。情報を駆使するサイバー技術が敵を破壊する絶大な威力をもつことが分かった。サイバーの力はミサイル以上に強力である。
「孫氏の兵法」の格言に「敵を知り己を知れば百戦してあやうからず」というのがある。そこで遺伝情報を考えれば、同じ民族であれば共通の遺伝子があり、共通の性向があるに違いない。敵の行動の裏側に隠れた性向をあぶりだし、戦争に利用する。データさえ集められれば、AIを使って、民族の弱点を知り、攻略する妙策を考え出せるだろう。そのためには敵方に、何気なく遺伝情報を提供してくれる仕掛けを作ることだ。
低料金の遺伝子検査の罠
低料金の遺伝子検査サービスなど格好の「罠」である。
ヒトの遺伝情報の完全解析が終了したのが2003年。その前後から、遺伝情報を取り扱うサービスがどっと登場したが、当初から目立っていたのが米国や中国企業の遺伝子検査サービスで、競争が激しく、価格がみるみる下がった。日本の街中でも気軽に検査キットを購入する利用者が急増した記憶がある。
人々が知りたがる遺伝情報がある。実利的には、親子関係の証明、遺伝的性質があるとされる糖尿病やがんなどの疾病について自分にどれだけのリスクがあるのか、こうした情報を得るための検査需要が大きい。米国の有名女優が検査の結果「乳がんのリスクが大きい」と知って乳房を切除した、そんな報道も記憶に残っている。「己を知りたい」という需要は大きいのである。それで運命を変えようとする。
正確でなくてもよい、というので、人と人の相性診断、肥満防止対策など、多少、遊び感覚も混じった(本人は真剣だろうが)検査の需要も大きかった。
そうした検査のために、遺伝子検査キットを購入し、遺伝子検査のための細胞を、中国企業や米国企業にせっせと送った人々が多かったのである。
政府への情報提供が順法
米国には、企業は個人情報を他に利用しないように厳重に保護する法律がある(どこまで機能しているかは分からないが)。一方、中国には企業が保有した情報は政府の求めに応じて提供する義務がある。つまり、検査会社は個人の遺伝情報を、米国では会社の外に出ないように保護し、中国では政府に提供する。
すでに周知の常識となっているだろうが、中国の企業が政府に情報を提供するのは「合法」なのである。企業に説明を求めれば「法律に則って対応している」と答えるが、これは「政府に提供している」という意味である。「法を守る」意味が真逆である。
新種のサイバー攻撃
ここ数年、中国は次々に整備した法律で、国家の安全を守るために公然と個人情報を収集、利用している。中国企業が「情報」を取り扱う意味が「顧客へのサービス」から「政府の治安維持のための情報収集」に変わったともいえる。膨大な監視カメラの設置は、個人情報を把握して治安維持に役立てるためだと、政府もその意図を隠さなくなった。
治安維持のため、中国の制度が急速に変容してきたため、米国政府は、生体認証や資産情報に加え、遺伝情報の中国への提供を禁止する決断をした。AIの機能が想像を超える勢いで急進展し新たな高度の応用が可能になった。膨大な遺伝情報を解析し、想定を超える敵国工作を編み出してくる可能性も出てきた。米国民の遺伝情報を集められ、未知の国 民の性向まであぶり出され新たな工作に使われることも十分に考えられる。
遺伝情報を集めるのが新種のサイバー攻撃になるかもしれない。
孫氏の兵法
「敵を知り己を知れば百戦してあやうからず」
個人情報は単に「個人」の情報ではない。集められれば「国の安全」を左右する情報になるかもしれない。
中島洋の「セキュリティの新常識」コラムは、こちら